創造性のもととなる「思考力育成」をテーマに幼児教育、小中高生研修、企業研修を行う一般社団法人です。


「論説紙芝居国語」とは?


最初の一歩が、次の一歩を生む。
知らないものはないのと同じ

モノの見方、考え方としての【教養】を身につける。
そのためにはどんなタイミングがベストなのでしょうか?
「知識」の特徴について見ると、この答が分かります。

 1.「知識」の獲得には繰り返しの経験が必要
    知識とは、たった1度の経験で1から10まで獲得できるものではありません。
    様々な経験を通じて少しずつ深まり、培われるものです。

 2.「知識」の獲得には前提となる手がかりが必要
    知識を得るには経験が必要ですが、ただ経験すればいいというわけでもありません。
    日々の経験の中から、自分が既に備えているものを手がかりに学んでいくものです。

このため、自分の中に手がかりがない子どもは、
何を経験してもそこから「知識」を得られない
ことになります。
あらゆる刺激が、受け取る準備ができていないために素通りしてしまうのです。
これでは、最も能力が伸びる幼児期に成長のチャンスをみすみす逃すことになります。

逆に、学び始めることができた子どもはぐんぐんと知識を獲得することができます。
学んだことが次の手がかりとなって、新たな学びを可能にするからです。

学び始めることに、遅すぎることはありません。そして、ある年齢まで待つ必要などもないのです。
「ピグマリオン論説紙芝居国語」は子どもたちの飛躍のために、格好の第一歩となることでしょう。

「国語力」はあらゆる学びの基礎


「ピグマリオン論説紙芝居国語」の知識観
心理学的な見地から

子どもたちが学び始めるタイミング。
かつてこれは、「子どもが理解できるくらいに成長してから」がよいのだと考えられて
いました。子どもの成長を待つ考え方ですが、しかしこれは、よく考えると少し妙です。
ある日突然に、子どもに何かを理解する準備が整うなどということがあるのでしょうか。
また、身体が成長するだけで、ひとりでにそのような準備が整うものでしょうか。

知識の獲得を「0から1への一挙の移行」として理解する発想が、こうした不自然さを
もたらしています。そのため、現在ではこうした知識観は古いものとなっているのです。

20世紀最大の教育心理学者の一人ジェローム・ブルーナ―は、この古い学説に異を唱えた
人物として知られています。彼が提唱したスパイラル・カリキュラムと呼ばれる教育法は
幼少期から同じ事柄を繰り返し、ただしその発達に合わせて深めながら学ぶことで、徐々に知識を獲得していくという手法でした。
「0から1への一挙の移行」ではなく、いわば「同じ1を繰り返し、少しずつ深く知って
いく」ことこそが学習のプロセスであると考えたのです。

また彼は、「いかなる主題であっても知的に誠実な形で、どんな発達の段階にある子ども
にでも教えることができる」という革新的な学説の提唱者でもありました。

つまりどんなに複雑な内容であっても、子どもの発達に合わせて適切に整えられたなら、
子どもは自身の能力に合わせてそれらを理解できるということです。

これは勿論「子どもなりに」ということではありますが、この最初の一歩があってこそ、
次の一歩がある。その時々の発達に合わせて、同じテーマを少しずつ学び深めることで、
最後には素晴らしい理解に到達する。
まさにスパイラル、螺旋的に上っていく教育観です。

同様の学説の提示者として、私たちはジャン・ピアジェの名を挙げることもできます。
彼もまた20世紀最大の発達心理学者の一人であり、私たち人間は、既知のものを利用して
未知のものを理解する
、という認識観を示しています。例えば、私たちは空を飛ぶ動物を
見るとまずは「鳥かな?」と思ってみたりする。「鳥」という既知の概念で、初めて見る
何ものかを理解しようとしているのです。
こうした契機により、子どもはより詳細な概念を獲得していくとピアジェは考えました。

「実は鳥は鳥でもスズメだった」でも、「実は鳥ではなく蝙蝠だった」でもいいのです。
最初の一歩として「鳥」がなければ、次の一歩が生まれない。そしてその最初の一歩は、
ひとりでに歩みだせるものではありません。子どもたちが自ら学び、知識の階段を上って
いくことができる環境がなければなりません。

「ピグマリオン論説紙芝居国語」はこうした知識観に基づき、多様な領域からトピックを
厳選し、5歳程度の子どもからでもしっかり理解できるよう練り上げられました。
将来の豊かな学びのため、是非とも触れて欲しい最初の一歩、知識の種をふんだんに盛り
込み、様々なモノの見方、考え方に自然と親しむことができるよう作られています。

学べば学ぶほど、次の学びへと繋がっていく。
そしてそれがそのまま、子どもたちの本物の国語力として実を結ぶのです。


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